息子の弘大と、初の親子二人旅に行ってきました。 一年前、息子が15歳の時にアルバイトで旅費を自分で貯めたらギャラリーや美術館を回り
現代アートをチェックしにN.Yへ行くという約束でした。ということで、息子と一緒にボクは仕事も兼ねて25年ぶりのN.Yでした。
まぁ、びっくりするほどセーフティな街になっていました。当時は$1=230円でソーホーのことをサウスハウストンと呼び
キースへリングが地下鉄の駅にチョーク1本でアートワークしていましたし、毎日の様にパーティーやCBGBでライブがあったり
川沿いやハーレムは危険エリアで行ってはダメ!!という時代でした。 今では、ソーホーは渋谷や青山の様になり、CBGBもなくなり
MOMAも大きくなり、地下鉄もトークンからメトロカードというとっても便利なシステムになっていたり、
ちょっと浦島太郎状態になっていましたが、基本的に大きな変化はあまり無く、80年代前半のトガっていた物事が年月を経て
マンハッタン全体にぼんやりと広がった感じがしました。
ボク的には、BEAMSの窪さんやmasacova!に教えてもらった
ニュージャージーやブルックリンの方が良かったです。 グラウンド・ゼロも行ってみたのですが、工事現場のフェンスの中に
アメリカの国旗がぽつんと一本立っていて、9.11のことなどもう昔の話のことの様な現場のエナジーに、さすがアメリカやなと思いました。
次から次へと開拓していくその姿は、まさに資本主義そのもので、ボクたち農耕民族には、ちょっとついて行けないのかなとも感じました。
で、息子の方は、 美術の教科書に載っている沢山の本物(ピカソ、マティス、ミロ、ポロック、モンドリアン、ゴーギャン、ゴッホ、リキ、
ジャスパージョーンズ、ウォーホール、バスキア、キースなど)を目の前にして、筆のタッチやら額装のフィニッシングやらを
一生懸命チェックしていました。まるで25年前の自分を見ている様で、やっぱり親子やなと思いました。
ボクは25年前に一度このN.Yで挫折して帰ってきて、デザイナーという仕事に就きましたが
改めてN.Yという街に感謝しています。
あの時、挫折せずにN.Yでアーティストを目指していたら、きっとサーフィンもせず、毎夜パーティーに明け暮れてアーティストにもなれずに
今よりも人としてもっと未熟だった気がします。なのでARIGATO N.Y.C
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